「あの家の人、いったいどうしちゃったの」

「あの家の人、いったいどうしちゃったの」

「あの家の人、いったいどうしちゃったの」
と不思議がられていたのではないか。
いや、庭続きのとなりの人だけは別だな。
ある日突然、人間芝刈り機のように雑草抜きをはじめる、私の草むしりのリズムから、思いたったら一気珂成にしてしまいたがる私の性格を見抜いていただろうから。
洗濯機の最後の回のドレープが乾き上がり、物干し竿から腕いつぱいに抱えて取り入れたものを、ベッドの中央にやっとこさと下ろしたとき、(あ-、今日はここまで。
とりつけるのは、明日にしたい)との衝動にかられた。
パワーが尽きかけていたのだ。
が、ここで中断しては、明日はもっとおっくうになる。
スイッチをいったんオフにしてから、再起動するには、今この続きでやってしまう場合の倍のエネルギーを要するだろう。
ずるずると布のかたまりを引きずり、リビングヘ・ドレープ一枚が、まるで運動会の父母席のテントを運んでいるかのように感じられる。
いくつあるとも知れぬ縫い目にひとつひとつフックをはめ込んでいくという、気の遠くなるような作業に耐えたあと、ふらつく足で脚立に上り、いざ、取りつけようとすると、重いこと。
腕がしびれそうになる。
それでも、左手で抱え、右手でフックをカーテンレール上の輪にひっかけていかねばならない。
同じ高さでの作業でも、外すのより取りつけの方が、はるかにたいへんだとわかった。
一定時間支え続けるための力だけでなく、直径七ミリくらいの輪に過たず通すための、こん》」
まかな神経と集中力とが要求される。
じっと上を向き根を詰めていると、首の後ろが痛くなる。
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を描いたときのつらさが、わかる気がした。

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